24.『聖の青春』
重い腎臓病を抱え、命懸けで将棋を指す弟子のために、師匠は彼のパンツをも洗った。弟子の名前は村山聖。享年29。将棋界の最高峰A級に在籍したままの逝去だった。名人への夢半ばで倒れた”怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動ノンフィクション。第13回新潮学芸賞受賞作
24冊目は大崎喜生さん著「聖の青春です。」
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①全体の感想(※ネタバレ無し)
最近将棋に関する大きな話題が2つありましたよね。
1つは羽生さんの永世七冠
もう1つは藤井さんの29連勝(+朝日杯優勝)
どちらも凄まじい記録ですよね。このおかげで将棋に興味を覚えて、始めた人も多いと思います。
今回は、永世七冠を獲得した羽生さんが若い頃、羽生さんと同等の強さを誇り、29歳の若さでこの世を去った将棋棋士、村山聖さんの、生まれてから死ぬまでの熱く激しく、言葉通り命を懸けて人生を駆け抜けた軌跡が書かれた本について書いていきます。
村山さんの将棋に懸ける想いやその生き方に途中何度も涙を流してしまい、本当にここまで熱く焼き焦げるほどの情熱を持って生きた人がいたのだと思うと、ただただ尊敬するばかりです。思い出しただけで涙腺が緩みます。
そして彼を支えてくれた家族や師匠、将棋の同志達がいたからこそ、村山さんも自分の人生を真っすぐに生き抜けたのだと思います。
本書は僕の本棚に永劫残しておこうと思います。それほどの、それ以上の価値があります。
②気になった点(※ネタバレ有り)
・重病を抱えながらの棋士生活
村山さんが発症した病気は「ネフローゼ症候群」という腎臓の病気で、尿の中に大量のたんぱく質が出るのに伴って、血液中のたんぱく質が減少するために、むくみ、血液中のコレステロールなどの脂質の上昇等が現れるというものです。
実際本書の中でも、度重なる高熱に苦しんでいる描写が多々書かれており、少なくとも僕なんかが想像できないほど苦しい病気です。それでも村山さんはこのネフローゼを抱えながらも、将棋界では「怪童」と恐れられるほどの強さを伴って、人としても棋士としても成長しました。
病気で苦しくて歩けないほど辛い時でも、将棋会館まで車に乗せてもらい、部屋まで這いずってでも将棋を指し続けました。「名人になりたい」という一心を背負って、戦い続けたのです。
這うようにして対局場へいき、たいきょくを 終えて真夜中にタクシーを拾って部屋にたどり着くと、スーツを着こんだまま眠ってしまうこともしょっちゅうだった。明け方に汗だくになって目を覚ます。そして、自分が高熱を出していることと背広を着たまま寝ていることに気がつく。しかし体が動かない。まるで案山子になったように蒲団の上で微動だにできない。
ちょっとしたことで発熱に襲われるのは子供のころと変わらなかった。ただ、歳とともに熱に対する抵抗力がなくなっているように思えた。
このまま朝はこないかもしれないと思うこともあった。しかし、たとえ朝日が昇らなかったとしても、そして熱にうなされるどんな漆黒の夜にも、村山は心の中に太陽を抱いていた。
名人という光。
子供のころから何十万回と夢に見た名人位。それが村山を支え、それはいつも本物の太陽のように心を温めてくれた。
それほどまでの情熱が彼を突き動かしていたんですね。しかし残念なことに、A級までは辿り着いたのですが、そこからは病気が進行し、対局の欠席も増えてしまい、名人に挑戦することなく、亡くなってしまいました。
僕が勝手に思うに、村山さんがもう少しだけ猶予を与えられたのなら、必ず名人になっていたと思います。そう思わせてください。
・師匠
村山さんの師匠は、大勢の弟子を抱える西の森一門として有名な、森信雄七段です(昨年引退されました)。他のお弟子さんだと、糸谷哲郎八段や山崎隆之八段が有名です。
そんな森師匠と村山さんの関係はただの師弟を超えて、親子のようなものでした。森師匠は村山さんが奨励会員になる一年ほどを、自分のアパート内弟子として住み込ませ、周りの世話をしてあげていました。村山さんが一人暮らしを始めてからも常に気を配り、彼が動けない時には下着さえも洗濯してあげたそうです。
特に印象に残っているのは森師匠が雀荘で麻雀を打っているときにふらっと現れた村山さんとの会話です。
そして、森の後ろにそっと座った。
「どうしたんや、村山君」
森が話しかけると村山は何も言わずにニコニコしている。
「麻雀やりたいんなら替わってやろか?」
「はあ、いえ結構です」
「なら何や?飯でも食いにいこか?」
「いえ。もう食べてきました」
そう言うと、村山は楽しそうに麻雀を眺めている。
「なにかいいことあったんか?」と森が聞くと、
「はあ」と村山は照れくさそうに首をすくめた。
「いいことあったんなら言うてみい」
「あの、森先生」
「何や」
「僕……僕」と言って村山は少女のように顔を赤くした。
「僕、20歳になったんです」
その後村山さんが雀荘を出ていった後、森師匠はその言葉の重さに気づきます。「そうか、村山君よかったなあ」と何度も心の中で呟くのです。
そこに至るまでの話を読んだ僕としては、もう感極まってしまいました。この嬉しさをどうしても師匠に直に伝えたかったのでしょう。
そして彼は20歳どころか29歳まで、誰よりも熱い人生を送りました。その記念として彼には名誉九段の称号が贈られています。
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これ以外にも感動する場面はあるのですが、書ききれないのでこれで終わりです。ありがとうございました。
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いつもより長くなってしまいました、疲れました。