5.『明日の記憶』
「広告代理店営業部長の佐伯は、齢五十にして若年性アルツハイマーと診断された。仕事では重要な案件を抱え、一人娘は結婚を間近に控えていた。銀婚式をすませた妻との穏やかな思い出さえも、病は残酷に奪い去っていく。けれども彼を取り巻くいくつもの深い愛は、失われてゆく記憶を、はるか明日に甦らせるだろう!山本周五郎賞受賞の感動長編、待望の文庫化。」
①全体の感想
主人公は若年性アルツハイマーを患っているのですが、徐々に”記憶を失っていく”という症状が非常に恐ろしいものだと感じました。大切な人との忘れたくない、喜怒哀楽が深く刻まれた記憶さえもいつかは消えてしまう…考えたくもないことです。自立して生きていける最低限の行動さえも忘れて、誰かの全面的な介護が必要になってくるのは、自分だったら生きるのも嫌になってしまうかもしれません。しかし主人公の、それでもいつか来る運命に抗うように強く生きようとする様は胸に響きました。「記憶がなくなっても自分が生きた証拠は消えない」と。
②特に気になった点
1.若年性アルツハイマーの疑いがあると診断されたとき
最近起きるようになった頭痛や眩暈の原因を確かめるために大学病院で診察してもらったのですが、それらの症状は若年性アルツハイマーの初期症状の可能性があると告げられました。後日、簡易的なアルツハイマーに罹っているかのテストをしてみると、数秒前に見て覚えたはずのものが頭に残っていない…ここで主人公の佐伯が、そんなはずはない、急にテストされたからできなかっただけだ、と心の中で言い訳をして、嘘だと言い聞かせている姿は、読んでいて辛かったです。
実際自分が急に同じ病気だと診断されたらどうするか考えても、恐らく簡単には認められそうもないですね。若年性アルツハイマーは、20代の人でも発症する可能性はゼロではないらしいですから、まだ大丈夫だと思っていても近い将来自分が健康である保障は無いわけです。普段の生活でも直せるところは早いうちに改善しておきたいと思いました。また、そういう知識も増やしておきたいです。
2.記憶の欠落が普段の生活をひどく脅かすようになった
アルツハイマーだと診断されてからは、せめて娘の結婚式までは仕事を続け、今までの自分らしく当日を迎えるため、人の話すことは、スーツのポケットが目に見えて膨らむくらいできる限りメモを残し、食生活にも深く注意するようになります。
そして結婚式当日、今まで見たことのないほど綺麗な花嫁姿の娘から花束を受け取り、無事結婚式を終えたかのように思えました。しかし、宴会の後トイレに行き、「終わったな」と呟いた途端、頭の中で何かが断ち切れる音がしました。そのまま膝から崩れ落ち、たまたま寄った青年が佐伯を開放してくれます。誰か知らない親切な人に感謝を述べるのですが、その青年はさきほど結婚式を終えた娘の夫でした。この時を境に、佐伯の症状は重くなっていきます。この断ち切れる音は、大事な記憶が、自分の頭から引きちぎれるように消えていく音だったのでしょう。
3.大切な人との記憶も、もう繋ぎとめることができなくなっていく
遠出からの道すがら山のつり橋のたもとに女性が立っており、佐伯の顔を見ると安堵の表情を浮かべます。山を下る道中、彼女も隣を歩いてきます。長年そうしてきたかのように。彼女の横顔が泣いているように見えて、力づけるように「心配しないで。」という佐伯。少しして、佐伯は自分の名前を名乗り、彼女も「枝に実る子と書いて、枝実子」と返します。枝実子というのは佐伯の長年連れ添った妻の名前です。「いい名前ですね」と返し、彼女はようやく笑ってくれました。
ここの流れはラスト2、3ページなのですが、もう駄目でした。泣けました。名前も顔も忘れても、消えないものが二人の間にはあったのでしょう。妻との繋がりは、たとえ病気に飲まれても消えないものだったのでしょう。いつか自分もそういう人と巡り会えたらどれだけ幸せでしょう。
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自分は結構涙腺が緩いのですが、それを抜きにしても感動する作品でした。映画化されているらしいので、今度見てみようと思います。
以上です、ありがとうございました。
次回の更新も小説の感想になります。